超過酷なアドベンチャー出張
クライアントは当時学校の同窓会名簿を中心に営業していた大手印刷会社でした。
当時その大手印刷会社は全国に営業所が10カ所、営業の人数約20名で、その20名の営業マン達と同行して、プレゼン(企画)の説明から受注後の進行管理まで一人でディレクションしていましたので、ほとんどの営業マンと仲良くなりました。
JRや飛行機で現地の駅もしくは空港で営業マンと待ち合わせて営業車で1~2泊の工程で、売り込みも含めて4~5校を回るのが普通の工程でした。その宿泊地では営業マンと居酒屋で地元の食材と酒を酌み交わして情報交換を含めた懇親会になります。こんな出張が一月に2~3回ありました。
この頃、同行していた営業マンからは「学校で1時間ほどしゃべって、後は電車に乗ってビール飲んでタバコを吸っているだけの出張で給料をもらってうらやましい」などと言われていました。
しかし時にはとてつもない想像を絶するような日程を組んでくる営業マンもおり、絶対に忘れられない最高(最悪)最長移動の出張もありました。
1日目 21:00金沢発夜行バス。仙台に向かう(約600㎞)
2日目 6:00仙台着
6:30仙台で営業マンと合流。青森に向かう(約400㎞)
12:30青森着。青森と弘前で2校と打ち合わせ
15:00弘前発。仙台に向かう(約400㎞)
20:30仙台着
(翌日朝8時から別件の打ち合わせのため、7:30までに大阪着の必要あり。新幹線では間に合わないため)
21:30仙台発夜行バスで大阪へ向かう(約900㎞)
3日目 6:30大阪着
この後、大阪で2~3件打ち合わせて21:00くらいに富山へ帰る(約400㎞)。
3日間合計移動距離:2,700㎞(内バスと営業車で2,300㎞)
こんなに苛酷な出張もありました。
最近では不景気の影響のあり卒業生から寄付金が集まらず、学校の記念誌もなかなか発行できない時代になっています。
全国出張していた時代が懐かしいものです。
編集TK